人生=ビスケット
ある小説に、人生はビスケットの缶だって思えばいい、という文章がある。
「人生はビスケットの缶だと思えばいいのよ」
「ビスケットの缶にいろんなビスケットがつまってて、好きなのとあまり好きじゃないのがあるでしょ?それで先に好きなのどんどん食べちゃうと、あとあまり好きじゃないのばっかり残るわよね。私、辛いことがあるといつもそう思うのよ。今これをやっとくとあとになって楽になるって。人生はビスケットの缶なんだって」
この文章は後期の人生でいつも支えになっている。
気休めと言ったらそれまでだけど。
中高で上手く友達が出来ず青春時代は我武者羅にひたすら孤独に絵を描いて、最終的にそのストイックな思考が反動で精神病を患ったあたしのビスケットの缶にはもう美味しいやつしか残ってない。
不幸など訪れるわけない。(不味いのは全部食べた、はず)
ただ、不味いビスケットばかり食べていると慣れてくる。
むしろ不味いビスケットに逆に安心してしまう。
不味いのだけで満腹になるんだ。
最近、もう不味いのは全部食べたと思っていたのにとても辛いことがあった。
心底落ち込んだのだけど、悲しみとか苦しみとか恨み辛み云々の感情の壁の上から不幸にホッとしている自分がこっちをじっと見つめている。
このホッとした感情を冷静に分析してみると2種類あって、
これ以上もう不幸にはならなくてすむ。後は上がるだけ、という安堵感と、
きたきたきたきた、いつもの辛いやつ。やっぱこれでなきゃあたしじゃないよね!!という意味のわからない安心感。
全くいい加減にしてくれよ、ビスケットたち。